大阪地方裁判所 平成8年(行ウ)100号 判決 1997年6月16日
原告
鎮谷和三郎
右訴訟代理人弁護士
新垣忠彦
被告
東大阪労働基準監督署長横田隆
右指定代理人
草野功一
同
大上良一
同
池内義明
同
檜ヶ谷健三
同
奥村倫明
同
大森康弘
同
川根幸子
主文
一 被告が原告に対し平成三年七月二九日付けでした労働者災害補償保険法による障害補償給付の支給に関する処分を取り消す。
二 訴訟費用は、被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
主文同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、訴外北港タクシー株式会社の運転手としてタクシーに乗務中、昭和五九年一一月二〇日午前〇時五分ころ、大阪市城東区<以下略>の国道一号線交差点において、信号待ちのため停車していたところ、訴外村上鶴由の運転する普通乗用自動車に追突されて、負傷し(以下「本件災害」という。)、頸(以下「頚」ともいう。)椎及び腰痛捻挫の傷病名で入通院し、昭和六一年九月三〇日、症状固定となった。
2 大阪労災病院天野敬一医師(以下「天野医師」という。)は、原告の後遺障害は、頸部挫傷後頸椎後縦靱帯骨化症と診断した。
3 原告が、被告に対し、本件災害により後遺障害が発生したとして障害補償給付を請求したところ、被告は、平成三年七月二九日付けで、本件災害により原告に残存する障害は、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)施行規則一四条第一項に規定する別表第一障害等級表に定める障害等級(以下「障害等級」という。)第一二級一二の「局部にがん固な神経症状を残すもの」に該当するものとして支給決定し(以下「本件処分」という。)、同年八月一二日付けで同障害等級に相当する障害補償給付を支給する旨の通知をした。
4 原告は、本件処分を不服として、大阪労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、同審査官は、平成五年一月二七日付けで、右審査請求を棄却する旨の決定をした。原告は、さらに、この決定を不服として労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は、平成八年四月五日付けで右再審査請求を棄却する旨の裁決をした。右裁決書は、同年五月一六日に原告に送達された。
5 本件処分には、以下のとおり、事実認定及び障害等級の当てはめを誤った違法がある。
(一) 原告は、本件災害による損害の賠償を求めて、加害者である訴外村上鶴由に対して民法七〇九条に基づき、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)上の運行共用者である訴外ハラダ塗装株式会社に対して同法三条に基づき、当庁昭和六二年(ワ)第一〇九七八号損害賠償反訴請求事件(以下「地裁事件」という。)を提起した。
大阪高等裁判所は、平成五年五月二七日、右地裁事件の控訴事件である同庁平成二年(ネ)第一〇九五号、同年(ネ)第一一〇七号損害賠償反訴請求控訴事件(以下「控訴事件」という。)において、次のとおり判示した。
(1) 原告は、本件災害前から頸椎後縦靱帯の骨化が進行し、脊柱間の狭窄により脊髄や神経根が圧迫され、神経症状を起こしやすい状態にあったところ、本件災害による衝撃によってその症状が顕在化し、頸部運動制限、頸部痛、上肢のしびれ、四肢の疼痛、手関節及び足関節の機能障害等の症状が発現したものであり、本件災害と右神経症状の発症との間には相当因果関係があるものと認めるのが相当である。
(2) 原告の肩関節の運動制限についても、その発症が本件災害後まもなくの植田病院入院中であることに鑑みると、頸椎後縦靱帯の骨化による神経根の圧迫により肩関節の運動制限が生じた可能性も否定できないし、仮にそうでなく、これがいわゆる五十肩であるとしても、原告の頸椎に神経症状が発症したことが五十肩を誘発した可能性を相当程度認めることができるから、本件災害との相当因果関係を肯認するのが相当である。
(3) 原告の後遺障害は、主として頸椎後縦靱帯の骨化に基づく脊髄や神経根の圧迫による頸部、肩、上肢、下肢等の関節の有痛性機能障害である。原告は、中程度以上の肉体労働や細かい神経を使う事務労働に従事することは不可能で、軽労働のみが可能であり、その後遺障害は、自賠法施行令二条別表の第九級一〇の「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」に該当する。
(二) 不法行為法又は自賠法における相当因果関係と、労災保険法における相当因果関係を別異に解すべき理由はなく、本件においても、右控訴事件の判示のとおり本件災害と頸椎後縦靱帯骨化症ないし同骨化症の発症による頸部運動制限等の神経症状及び肩関節の運動制限との相当因果関係を認めることができ、同様に右控訴事件の判示のとおり、原告の障害は、「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」であって、同旨の障害を定める労災保険法施行規則の障害等級第九級七の二に該当するというべきである。
(三) しかるに、被告は、原告に残存する障害は、原告の私病である頸椎後縦靱帯骨化による器質的変化及び頸部の疼痛による頸部の運動制限であり、また、左肩関節の運動制限についても五十肩等による年齢的変化及び頸部からの疼痛によるものであるとして、本件災害と、頸椎後縦靱帯骨化症ないし同骨化症の発症による症状及び五十肩との因果関係を否定して、外傷により頸部及び左肩関節部にがん固な疼痛を残すものとして、障害等級第一二級一二の「局部にがん固な神経症状を残すもの」に該当するものとし、本件処分をした。
6 よって、原告は、被告に対し、本件処分の取消しを求める。
二 請求原因に対する認否及び反論
1 請求原因1は認める。
2 同2は否認する。正確には、天野医師は、原告の傷病名及び障害の部位として頸椎後縦靱帯骨化症、頸部捻挫と診断したものである。
3 同3は認める。
4 同4は認める。
5(一) 同5(一)は不知。
(二) 同(二)は争う。
(三) 同(三)は認める。
6 以下のとおり、本件処分は適法である。
(一) 労災保険法一二条の八第一項三号所定の障害補償給付は、障害による労働能力の喪失に対する損失填補を目的とするものであるから、その対象とされるのは、傷病が治ったときに残存する、当該傷病と相当因果関係を有し、かつ、将来においても回復が困難と見込まれる精神的又は身体的な毀損状態であって、その存在が本人の自訴のみによってでなく、客観的、医学的にも認められるものでなければならない。
(二) 本件災害と頸椎後縦靱帯骨化症ないし同骨化症の発症による頸部運動制限等の症状との相当因果関係は、以下のとおり存在しない。
(1) 労災補償において、これが使用者に特別の責任と負担を課すものである以上、業務と疾病との間に条件関係があることを前提としたうえで、労災補償の法的性質・制度的特質、労基法・労災保険法の立法趣旨等にかんがみ、業務と疾病との間に労災補償を認めるのを相当とする関係(相当因果関係)の存在を必要とするというべきである。
そして、その相当因果関係の存否の判断に当たっては、業務上の事由のほかに、他の有力な要因が認められる場合には、これらの要因に比較して、業務上の事由が相対的に有力に作用したと認められる場合についてのみ、相当因果関係があるとみるべきである。
有力に作用したか否かの判断に当たっては、当該業務が当該疾病を生じさせる具体的危険を内在させているか否か、すなわち、業務に内在する具体的危険と疾病との関連性という一定の客観的な要件が存在するか否かを判断の根拠としなければならないものである。
したがって、労災補償上の相当因果関係は、不法行為法又は自賠法における相当因果関係とはその内容を全く異にするものであって、このことは、使用者に対しその過失の有無を問わずに特別の負担を課する労災補償の制度的特質、法文の規定の仕方等に鑑みれば明らかである。
(2) 原告には、本件災害以前から頸椎後縦靱帯の骨化が認められ、後縦靱帯の骨化は、発生の機序が明らかでなく少なくとも外傷により骨化そのものが進行するものとは考え難い。
本件災害以後に生じた原告の頸部の運動制限、疼痛等の神経症状は、以前からあった頸椎後縦靱帯骨化に本件災害による衝撃が加わり、偶発的に発現したと解するのが相当である。原告の脊椎管狭小率は四五パーセントであり、脊椎管狭小率が約四〇パーセントを超えた場合、脊髄症発現の可能性が濃くなることからすれば、原告の場合は、いつ症状が発現してもおかしくない状態であったものであると解される。したがって、このような原告にタクシー乗務中の本件災害が引き金となってたまたま私病である頸椎後縦靱帯骨化症の症状が顕在化したとしても、前記労災補償の考え方からすれば、その損失を補填しなければならないものではない。
(3) よって、被告が、頸椎後縦靱帯骨化症に伴う障害について業務との間に相当因果関係を認めなかったのは正当というべきである。
(三) 神経症状の消退
また、原告が主張する障害については、本件災害発生当時既にあった頸椎後縦靱帯骨化に本件災害による衝撃が加わり、頸椎後縦靱帯骨化症に見られる神経症状が生じたものと考えられるが、大阪労災病院整形外科土井照夫医師(以下「土井医師」という。)の平成四年一二月一六日付け意見書は、同日現在の原告の症状について、「歩行は正常。片足起立、尖足歩行、踵足歩行すべて可能。衣服の着脱もスムーズ。ボタン操作も問題なし。」とし、神経学的所見としても、「上肢腱反射正常で、病的反射なし。下肢腱反射は右膝蓋腱反射、両側アキレス腱反射がやや弱いが、特に異常と指摘する程度のものではない。病的反射なし。知覚障害はなく、特に筋力低下もない。握力右三〇キログラム、左二八キログラム。伸展下肢挙上テストでは両側とも八〇度。」としており、頸椎後縦靱帯骨化症に見られる神経症状は、各種検査等によって認め難い状態となっている。
また、天野医師の平成二年五月二八日付け診断書は、「平地歩行は障害なし。頸部痛、頸部、左肩運動制限、運動痛中程度。めまい(マイナス)、頸部圧痛明らかでない。四肢腱反射正常範囲内、片足立ち両側可。握力右二六キログラム、左二四キログラム。知覚障害(検査上四肢とも検出不可)。」とし、また、地裁事件において平成元年九月七日に実施された証人尋問における同医師の証言では、原告の場合、頸椎後縦靱帯骨化症による麻痺ははっきりと現れているわけではないとしている。
いずれの医師も、所見の時点で二年六か月の経年差はあるものの、頸椎後縦靱帯骨化症に見られる神経症状の残存については否定的であることから、加療の結果、症状固定時にはその症状が概ね消退していたものである。
労災保険法における障害補償は、将来においても回復が困難と見込まれる労働能力の喪失を伴うものをその対照(ママ)としているものであるところ、右によれば、原告が主張する頸椎後縦靱帯骨化症に見られる神経症状の残存については、土井医師の意見書作成時において概ね消退していたことから、将来においても回復が困難と見込まれる症状には該当しないものとして、障害補償給付の支給対象にはならなかったのである。
(四) 以上から、被告は、原告の残存障害について、頸部から肩にかけての疼痛のみが、可動時に強い疼痛となって出現して頸部と左肩関節の運動範囲に影響を与えるものであり、長期間消退しなかったものであることから、神経系統の障害として、障害等級第一二級一二の「局部にがん固な神経症状を残すもの」に該当すると認定したものである。
(五) よって、本件処分には何ら違法がなく、原告の主張は理由がない。
第三証拠
証拠については、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 請求原因1、3、4、5(三)は、当事者間に争いがない。
二 右当事者間に争いのない事実、(証拠略)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。
1 原告は、訴外北港タクシー株式会社の運転手としてタクシーに乗務中、昭和五九年一一月二〇日午前〇時五分ころ、大阪市城東区<以下略>の国道一号線交差点において、信号待ちのため停車していたところ、訴外村上鶴由の運転する普通乗用自動車に追突されて、負傷した(本件災害)。その衝撃の程度は、原告運転車両の左後部が潰れて廃車となるほどのものであり、原告は事故現場近くの福西外科診療所に救急搬送されて手当を受けた。
原告は、本件災害前、高血圧症を指摘されていたが、それ以外に顕在化した持病はなく、健康であり、通常にタクシー運転業務に従事していた。
2 原告は、本件災害の翌日である昭和五九年一一月二一日、堺市蔵前町所在の植田病院に転医し、左上肢の痺れ、頸部痛、腰部痛を訴えて、頸椎及び腰痛捻挫と診断された。植田病院で撮影された原告のレントゲン写真では、第三頸椎から第五頸椎にかけて後縦靱帯の骨化像が撮影されていたが、同病院植田雅治医師(以下「植田医師」という。)は、これを見落とし特段の異常はないと判断した。
3 原告は、昭和五九年一二月一日から植田病院に入院したが、その症状は、頸部痛、頸部運動制限、左上肢の痺れ、右足の痛み等がほとんど改善をみないどころか、腰部運動制限、肩関節の運動制限、左右上肢の関節の痛み等むしろ神経症状が拡大する傾向を見せつつ、昭和六〇年四月三〇日に退院した。
4 植田医師は、昭和六一年九月三〇日、原告の症状について、後縦靱帯の骨化を見落としたまま、頸椎及び腰椎捻挫とし、自覚症状として頸、両肩、背、腰、右下肢にかけての疼痛が残り、他覚症状・検査結果としてはレントゲン写真及び脳波に異常はないが、自覚症状は頑固で、将来の見通しは困難であるとして、症状固定と診断した。
5 原告は、昭和六三年一月二二日以降、大阪労災病院にて治療を受けたところ、頸椎後縦靱帯骨化症に罹患していたことが判明した。
6 大阪高等裁判所は、平成五年五月二七日、請求原因5(一)のとおり、控訴事件において、本件災害と頸椎後縦靱帯骨化症の発症による頸部運動制限等の神経症状及び肩関節の運動制限との相当因果関係を認め、原告の後遺障害は、主として頸椎後縦靱帯の骨化に基づく脊髄や神経根の圧迫による頸部、肩、上肢、下肢等の関節の有痛性機能障害であって、原告は、中程度以上の肉体労働や細かい神経を使う事務労働に従事することは不可能で、軽労働のみが可能であり、その後遺障害は、自賠法施行令二条別表の第九級一〇の「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」に該当すると判示した。
以上の事実が認められる。
三 後縦靱帯骨化症について、医学書は、以下のとおり解説する。
1 難病必携(<証拠略>)
後縦靱帯骨化症とは、脊椎骨後縁の後縦靱帯が異常骨化現象を示すもので、脊柱管の狭窄により脊髄並びに神経根を圧迫し、種々の神経症状を呈する疾患である。
エックス線上、後縦靱帯の骨化を認めることから診断は比較的容易であるが、エックス線上の所見と臨床症状は必ずしも平行せず、無症状性の後縦靱帯骨化症が稀でないことを理解しておく必要がある。
一般に症状の進行は極めて緩慢であり、経過中に症状の一進一退がみられるが、外傷を受けた場合は、症状が急激に増悪することが多い。
本症の病因は現在まだ不明である。頸椎症の場合と同様、本症の頻度も加齢とともに増加する。外傷が神経症状の発現を誘発することはしばしばあるが、これは骨化の原因そのものと直接関係することを意味するものではない。
2 整形・形成外科診療第二巻(<証拠略>)
追突事故による頸椎損傷について、慢性化した症例の診断と治療においては、追突事故後六か月を経過してもまだ症状がはっきりしないとか、三年も過ぎたのにまだ治療を行っているという患者がしばしば診られるので、まず、これらの慢性化した患者が厳密な意味で交通事故で障害が起きたかどうかを調べねばならない。それにはエックス線像を詳細に検討する必要がある。四〇歳以上の患者では頸椎の変形性変化が多少なりとも存在しており、それは頸椎のC四からC七の辺りの椎体前縁の変形や椎間孔の狭小という変形を来しやすく、それらの状態に追突事故が重なってくると根症状や脊髄症状を生じやすい。また、稀にではあるが後縦靱帯骨化症があり、それに追突事故が重なると症状は重篤になり長びくことになる。それらの骨変化をよく検討し、それらによって症状が出ていると思われれば、追突事故と切り離して考える必要があると患者に説明したほうがよい。慢性期になると、症状は、主に頸部痛、頸部運動制限、両上肢脱力感、吐き気、頭重感等である。治療は保存的治療が勧められる。多くの症例では、治療を三か月ほど行うと軽快化するものが多い。
3 日本臨床四〇巻臨時増刊(<証拠略>)
後縦靱帯骨化症については、厚生省後縦靱帯骨化症調査研究班の全国調査によると、現在二千余の症例が登録されている。性別ではほぼ二対一で男子に多く、四〇歳代から七〇歳代に多く認められる。本症の確定診断は、頸椎エックス線、ことに側面断層写真によって決定される。頸椎椎体後面に密接して、多くは棒状の縦に細長い骨化陰影が発見される。脊柱管前後径と骨化の前後の厚みを各々計測し、前者を一〇〇としたときの後者の比率をパーセントで表し、脊椎管狭小率とする。脊椎管狭小率は、臨床的脊髄障害度と必ずしも等比関係を示さないが、約四〇パーセントを超えた場合、脊髄症発現の可能性が濃くなる。
臨床症状として四肢のしびれ、歩行障害、手指巧緻運動障害、知覚異常、筋力低下などの脊髄麻痺症状をもって受診する場合が多い。日常生活の動作において、はしの握りやぼたんかけなどが難儀となり、握った物を落としたりする。歩行は痙性で、場合によっては鋏み足となり、敷居や畳のへりにさえつまずいて転びやすくなる。歩行中に履物が脱げやすく、靴はつま先が特に摩耗する。これらの症候は潜行性で徐々に出現する場合と、外傷後突発的に発症する場合がある。健康人では考えられないような比較的軽微な頭頸部の外傷によって、発症や重篤な悪化を示すのも本症の特徴の一つであるとされている。
四 原告に残存する障害の状態についての医師等の所見
1 地裁事件(控訴事件の原審)において平成元年九月七日に実施された証人尋問における天野医師の証言(<証拠略>)の内容は次のとおりである。
(一) 頸椎後縦靱帯骨化症とは、レントゲンあるいはCT検査上の診断であって、頸椎後縦靱帯が骨化したため脊椎管の狭窄が認められる場合をいうものであるが、頸椎後縦靱帯骨化症があっても具体的な症状の発症が全然ない場合がある。頸椎後縦靱帯骨化症による具体的症状は外傷がなくて発症する場合もあれば、追突事故等で外傷を受けた場合に発症する場合もある。
(二) 本件災害の直後に植田病院で昭和五九年一一月二一日又は翌二二日に撮影された原告のエックス線写真において、頸椎後縦靱帯の骨化が第三頸椎から第六頸椎まで認められるところ、頸椎後縦靱帯の骨化は数日の間に進行するものではないので、本件災害の発生した同月二〇日以前から、原告には頸椎後縦靱帯骨化症が存在したものと判断できる。
(三) 原告は、昭和六三年一月二二日、大阪労災病院で初診を受けたが、天野医師が診察したのは、同年二月一日以降である。
同病院において同月二二日に施行したCT検査によれば、第二頸椎から第七頸椎まで頸椎後縦靱帯骨化症が認められ、第四頸椎で最大四五パーセントの脊椎管の狭窄が認められた。
(四) 原告には、本件災害以前から頸椎後縦靱帯骨化症が存在し、発症しやすい状態であったところ、本件災害が引き金となって具体的な症状が発症したものである。本件災害が、頸椎後縦靱帯の骨化自体を進行させたわけではない。
(五) 原告の頸部の運動制限は、頸椎後縦靱帯骨化症と頸椎捻挫による痛みの両方が要素となっていると考えられる。
左肩の有痛性の運動制限(五十肩)は、頸椎後縦靱帯骨化症と直接は関係がない。
原告には、頸椎後縦靱帯骨化症による麻痺がはっきりと現れているわけではないが、頸椎後縦靱帯骨化症の素因を有する者が追突事故等外傷を受けた場合に同様の症状を呈する者は多い。
(六) 原告の障害の程度は、一般事務職で考えると、軽労働しか従事できず、強いて言えば半分の労働能力である。
2 障害補償給付支給請求書(<証拠略>)の裏面に記載された天野医師の平成二年五月二八日付け診断書(<証拠略>)の内容は次のとおりである。
(一) 傷病名及び傷病の部位 頸椎後縦靱帯骨化症、頸部捻挫
(二) 負傷年月日 昭和五九年一一月二〇日
(三) 初診年月日 昭和六三年一月二二日
(四) 治ゆ年月日 平成二年五月二八日
(五) 療養の内容及び経過
受傷後近医通院していたが、頸部痛、左肩痛、上肢倦怠感あり、昭和六三年一月二二日転医して初診、当時頸部運動痛著明、左肩拘縮、握力低下などを認めたが、四肢神経麻痺は、はっきりせず、エックス線上頸椎のC二からC七まで後縦靱帯骨化を認む。当院リハビリテーション科にて物療及び当科にて投薬、症状軽快している。
(六) 障害の状態の詳細
階段を降りるときのみ右足痛あり。しかし、平地歩行は障害なし。頸部痛、頸部、左肩運動制限、運動痛中程度。めまい(マイナス)、頸部圧痛明らかでない。
四肢腱反射正常範囲内、片足立ち両側可。握力右二六キログラム、左二四キログラム。知覚障害(検査上四肢とも検出不可)。病的反射(マイナス)。エックス線上C二からC七の後縦靱帯骨化を認む。
(七) 関節運動範囲(自動)
(1) 頸椎
前屈 一五度 後屈 五度
左側屈 五度 右側屈 五度
左回旋 一〇度 右回旋 二〇度
(2) 肩関節右
外転 一一〇度 内転 二〇度 外旋 二〇度 内旋 八〇度
前挙 一七〇度 後挙 三〇度
(3) 肩関節左
外転 九〇度 内転 一〇度
外旋 二〇度 内旋 六〇度
前挙 一五〇度 後挙 二〇度
3 東大阪労働基準監督署調査官巽行男が平成三年五月二九日大阪労災病院において天野医師から原告の残存障害について意見を聴取した際の要旨は次のとおりである(<証拠略>)。
(一) 頸部の可動制限について
頸椎後縦靱帯骨化によるものと外傷による疼痛によるものである。頸椎後縦靱帯骨化症がなければどれだけ可動するかは、判断できないが、疼痛による制限だけであれば、現在よりもかなり可動域があるものと思われる。
(二) 左肩の可動制限について
いわゆる五十肩等の加齢的なものと頸部からの疼痛によるものである。
(三) その他所見について
頸椎後縦靱帯骨化以外に他覚的所見は特に認められず、諸検査においても異常は認められない。
4 大阪労働基準局調査官巽行男の平成三年七月二二日付け障害等級調査書(<証拠略>)
(一) レントゲン線上、頸椎のC二からC七に後縦靱帯骨化を認める。
(二) 階段を下りるときの右足痛、頸部痛、頸部の運動時痛が認められる。
(三) 頸部の可動範囲が正常可動範囲の二分の一以下に制限されていることを認める。頸部可動制限については、頸椎後縦靱帯骨化及び頸部の疼痛によるものである。
(四) 肩関節については、左右可動範囲上制限を認め、正常可動範囲との比較において、左肩関節が四分の三以下に制限されていることを認める。肩関節の可動制限は五十肩等の加齢によるものと頸部からの痛み等によるものである。
(五) 正常な場合と比較した原告の頸部及び肩関節の運動範囲は、次のとおりである。
(1) 頸部
<1> 正常可動範囲
前屈 六〇度 後屈 五〇度 左屈 五〇度 右屈 五〇度
左回旋 七〇度 右回旋 七〇度
<2> 原告
前屈 一五度 後屈 五度 左屈 五度 右屈 五度
左回旋 一〇度 右回旋 二〇度
(2) 肩関節
<1> 正常可動範囲
前上方挙上 一八〇度 側上方挙上 一八〇度 後方挙上 五〇度
回内 九〇度 回外 九〇度
<2> 原告肩関節右
前上方挙上 一七〇度 側上方挙上 一一〇度 後方挙上 三〇度
回内 二〇度 回外 二〇度
<3> 原告肩関節左
前上方挙上 一五〇度 側上方挙上 九〇度 後方挙上 二〇度
回内 一〇度 回外 二〇度
5 大阪労災病院整形外科土井医師の平成四年一二月一六日付け意見書(<証拠略>)
(一) 現症
(1) 歩行は正常。片脚起立、尖足歩行、踵足歩行すべて可能。衣服の着脱もスムーズ。ボタン操作も問題なし。
(2) 神経学的所見
上肢腱反射正常で、病的反射なし。下肢腱反射は右膝蓋腱反射、両側アキレス腱反射がやや弱いが、特に異常と指摘する程度のものではない。病的反射なし。
知覚障害なく、特に筋力低下もない。握力右三〇キログラム、左二八キログラム。伸展下肢挙上テストでは両側とも八〇度。
(3) 脊椎運動性
<1> 頸部
屈曲 五〇度
伸展 マイナス五度(右項部痛を伴う)
側屈 右一〇度 左一〇度(左肩の痛みを伴う)
回旋 右四五度 左四五度(左肩の痛みを伴う)
<2> 胸腰椎部
屈曲 二〇度
伸展 五度
側屈 右一〇度 左一〇度
回旋 右三〇度 左三〇度
(4) 関節の運動性
両肩に運動制限が認められる他、局所所見として右足第一ないし三中足骨背側、骨間部に圧痛が認められるが、足関節、足趾に運動制限も認められない。
(二) エックス線像
(1) 頸椎
歯状突起後方から第二ないし七頸椎後面に、広範囲にわたる後縦靱帯骨化を認める。各頸椎椎弓間にも骨化を思わせる像が認められ、黄靱帯の骨化と考えられる。項中隔の石灰化も認められる。タイナミック撮影を行っても頸椎の動きは極めて少ない。
(2) 胸椎
胸椎全般に前縦靱帯骨化の連続した像がある。また、椎弓、椎間関節部にも骨増殖の像があり、黄靱帯の骨化を思わせる。
(3) 腰椎
各椎体とも前面に骨辣形成があり、椎弓部には不鮮明であるが、やはり黄靱帯の骨化かと疑わせる像がある。椎間関節はすべて狭小化を示し、関節面の不整、硬化像も認められる。第四/五腰椎椎間には軽度のすべりが認められる。
(三) 診断
現在認められる障害は、
(1) 頸部、胸腰椎部ともに脊椎の運動制限が強いこと、
(2) 両肩の運動制限と疼痛、
(3) 右下肢の痛み、
である。
(1)の運動制限はもっとも大きな障害と考えられるが、頸椎では後縦靱帯、黄靱帯、胸腰椎では前縦靱帯、黄靱帯、椎間関節関節症などの変化によるものと考えられる。これらの変化は広範囲で典型的な脊椎の骨化症の像を呈していて、外傷後遺症とは考えられない。また、脊髄・脊髄神経の障害の所見が認められず、外傷の後遺症と考えられるものがあるとすれば、外傷がこれらの基礎変化のうえに加わったための疼痛の程度であろう。右下肢(足は別個の原因と考えられる。)の痛み・しびれを考慮してせいぜい第一四級程度と考えられる。
(2)の両肩の運動制限と痛みは、必ずしも退行変性によるものと決めつけるわけにはいかない。肩挫傷後のもの、あるいは頸部からの痛みが誘発したものとも考えられるからである。これらは同様の像を示して、今となっては鑑別がつかない。資料によれば受傷当時から認められているようなので、後遺症として認めざるをえない。片肩関節の可動範囲が正常可動範囲の四分の三以下に制限されているので第一二級六に相当すると考えられる。
(3)の下肢の痛みは(1)の中に含められるが、右足前足部の甲の痛みは局所的なものと考えられる。他覚的所見がないが、挫傷後の痛みであろうか。疼痛はときどき増強するようであるが障害項目に該当しない程度と思われる。
(1)と(2)を併合して重いほうの等級により第一二級に相当すると考える。
五 本件災害と原告の後遺障害との相当因果関係について
1 頸椎後縦靱帯の骨化について
レントゲン上の頸椎後縦靱帯の骨化については、前記三1、四1によれば、骨化自体は、外傷によって進行するものでなく、原告の身体的素因に基づくものであるので、本件災害との間に、因果関係を認めることはできない。
2 頸椎後縦靱帯骨化症の発症による頸部の運動制限等の神経症状について
前記二ないし四(ただし、四5を除く。)によれば、原告には、本件災害以前から頸椎後縦靱帯の骨化が進行し、脊柱管の狭窄により脊髄や神経根が圧迫され、神経症状を起こしやすい状態にあったが、未だ発症しておらず、原告は通常のタクシー運転業務に従事していたところ、本件災害による衝撃によってその症状が顕在化し、頸部運動制限、頸部痛、上肢のしびれ、四肢の疼痛、手関節及び足関節の機能障害等の神経症状が発現したものであり、本件災害と右神経症状の発症との間には相当因果関係があるものと認めるのが相当である。
これに対し、被告は、原告には本件災害以前より頸椎後縦靱帯骨化症が存在し、原告の脊椎管狭小率は四五パーセントであり、脊椎管狭小率が約四〇パーセントを超えた場合、脊髄症発現の可能性が濃くなることからすれば、原告の場合は、いつ症状が発現してもおかしくない状態であったものであり、このような原告にタクシー乗務中の本件災害が引き金となってたまたま偶発的に私病である頸椎後縦靱帯骨化症の症状が顕在化したとしても、本件災害と右神経症状との間に因果関係はない旨主張し、これに沿う証拠として(証拠略)が存する。
確かに、前記二ないし四によれば、原告には本件災害以前より頸椎後縦靱帯骨化症が存在し、原告の脊椎管狭小率は昭和六三年二月二二日には四五パーセントに達しており、脊椎管狭小率が約四〇パーセントを超えた場合、脊髄症発現の可能性が濃くなるとされていることが認められる。
しかし、前記二ないし四によれば、エックス線上頸椎後縦靱帯骨化症が認められても具体的症状を発症しないことは希ではなく、外傷によってその具体的症状が発現することがしばしばあること、原告は、本件災害に遭遇するまで健康であり通常の業務に従事しており、本件災害によって初めて頸椎後縦靱帯骨化症による具体的症状が発現したこと、原告運転車両は、本件災害により左後部が潰れて廃車となるほどのものであり、原告は事故現場近くの外科診療所に救急搬送されて手当を受けるなどしており、本件災害による衝撃の程度が軽いとはいえないことに照らせば、本件災害は、原告の頸椎後縦靱帯骨化症の発症にとって、単なる引き金にとどまらず、その直接の原因となったというべきであるので、被告の右主張は採用することができない。この点の被告の主張に沿う前掲(証拠略)は採用することができない。
3 肩関節の有痛性の運動制限について
前記二、四によれば、肩関節の有痛性の運動制限は、加齢による一部影響の余地を否定することはできないが、本件災害当時から発現した経緯に鑑み、本件災害と相当因果関係を有する障害と認めるのが相当である(<証拠略>参照)。
六 原告の障害等級について
前記二ないし五によれば、原告には、本件災害によって、頸部の運動制限、頸部痛、肩関節の有痛性の運動制限、上肢のしびれ、四肢の疼痛、手関節及び足関節の機能障害等の神経症状が発現し、加療の結果、上肢のしびれ、四肢の疼痛、手関節及び足関節の機能障害はほぼ消失し、低下していた握力も回復し、その症状は軽快したものであるが、前記四の医師らの所見、特に、本件処分の直前に作成された前記四4の大阪労働基準局調査官巽行男の平成三年七月二二日付け障害等級調査書(<証拠略>)によれば、本件処分当時、原告の障害としては、頸部の可動範囲が正常可動範囲の二分の一以下に制限されていたこと、両肩関節の可動範囲に制限があり、特に左肩関節の可動範囲が正常可動範囲の四分の三以下に制限されていたこと、階段を下りるときの右足痛、頸部痛、頸部の運動時痛が存したことが認められ、その内容、程度及び右障害は頸椎後縦靱帯骨化症という脊髄の障害に基づくこと等を総合的に勘案すると、本件処分当時、原告は、中程度以上の労働に従事することは不可能で、軽労働のみが可能であり、その後遺障害は「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」であって、労災保険法施行規則の障害等級第九級七の二に該当するというべきである。
これに対し、被告は、頸椎後縦靱帯骨化症に見られる神経症状について、土井医師の平成四年一二月一六日付け意見書(<証拠略>)、天野医師の平成二年五月二八日付け診断書(<証拠略>)、地裁事件において平成元年九月七日に実施された証人尋問における同医師の証言(<証拠略>)は、いずれも頸椎後縦靱帯骨化症に見られる神経症状の残存については否定的であることから、加療の結果、神経症状が概ね消退したものである旨主張する。
しかし、前記四によれば、原告に残存する障害の状態について、右天野医師の所見は、原告には、頸部の運動制限及び疼痛、肩関節の有痛性の運動制限、右下肢の疼痛が認められ、頸椎後縦靱帯骨化症による麻痺がはっきりと現れているわけではないが、頸椎後縦靱帯骨化症の素因を有する者が追突事故等外傷を受けた場合に同様の症状を呈する者は多く、その障害の程度は、一般事務職で考えると、軽労働しか従事できず、強いていえば半分の労働能力であるというものであり、本件処分後に作成された土井医師の右意見書も頸部の運動制限、肩関節の運動制限と疼痛、右下肢の疼痛が残存していることを肯定しているのであって、右医師らの所見が頸椎後縦靱帯骨化症に見られる神経症状の残存について否定的であるとは認めることができず、本件処分の前後を通じ、神経症状が消退したということはできないので、被告の右主張は採用することができない。
また、土井医師は、原告の障害等級を第一二級と意見する(<証拠略>)が、右意見は、原告の頸部の運動制限が本件災害によるものでないことを前提とするものであって、前提を異にするので、採用することができない。
七 以上によれば、本件災害により原告に残存する障害は、労災保険法施行規則の障害等級第九級七の二に該当するというべきところ、右障害等級第一二級一二に該当するとしてした本件処分は違法であるので、取り消されるべきである。
八 結論
よって、原告の請求は理由があるので、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中路義彦 裁判官 西﨑健児 裁判官 仙波啓孝)